日中で違った?意守丹田という簡単な技法を理解すれば実践できる

今回は具体的に中丹田の操作について解説します。ちなみに太極拳では上丹田、中丹田、後丹田、下丹田の4つを用います。これらの丹田は神・気・精とに対応しており、中でももっとも大切な丹田は中丹田です。

それは中丹田に気を蓄えるためです。上丹田は神の丹田、下丹田は精の丹田として用います。後丹田は気の出入り口、気と精との変換する要として使われます。ここでは、単に丹田と呼ぶ場合はすべて中丹田を意味します。

僕の先生は丹田を思え。集中してはならないと教えています。しかし、この教えには実は残念な問題が隠されています。ふんわりと思っているだけでは、あるいは単に想像するだけでは、意識は集まりません。

慎重に検討して工夫する必要がありました。気は神に集まります。痛みは神の一例です。傷の治癒は痛みがあるところに気が集まり、気は精に変えられ治癒効果を生じると説明できます。

感覚を集中しなければ、神は生まれず気は集まらないにも関わらず、ふんわりと思うだけでは効果の出ようがありません。痛み以外を使って神を作ることができればよいという仮説が成立します。

お腹に意識を集めるとはどうすることかが不明確だったのが日本の気功の問題だと考えられます。日本にあるどのような資料を見ても力を抜いて、静かに観察するといった程度の内容が書かれているだけでした。

具体的に意識的な身体操作で神を作り出す方法をご紹介します。類似例が古典的な道教の教科書に見つけられるでしょう。ここでご紹介する方法は、たまたま発見したものですが、多くの生徒たちに実施してもらって、効果を得ることができたものです。

ため息をつくと丹田の部分が緩んで前後に膨らみます。本来ため息をつくと周囲から注意されます。それは気が抜けてしまうからだとも、力が抜けてしまうからだともされますが、どちらにしても都合が良いことだと考えたのです。

丹田が緩みますので、次のステップに進みます。「意守丹田」は丹田を緩めた状態を維持する状態のことです。これも意識的でなければできません。つまり意識して丹田を緩ませ続ける状態を意味します。

中丹田はおへその奥を中心として意識し続けます。明確に意識できるようになった中心点が太極です。その太極を維持し続けると中丹田は動き出すようになります。この時の状態が放松の基本位置なのです。

それにしてもなぜ丹田は中国と日本とで違うのでしょうか?息をお腹に落として、お腹を前後に軽く膨らませるという簡単な動作に過ぎないのであり、誤解の余地はあまりないように思います。

そもそも、どこでも丹田にできます。手の平を丹田にすることも、額に丹田を作ることもできます。日本では丹田といえば臍下(せいか)丹田を指すのは、そこがある目的にとって都合が良かったからだと考えられるでしょう。

中国伝来の気功を採用した日本武術の代表は合気道です。合気道の技の原理は相手の力を引くことでコントロールするという考え方です。引く動作は日本の身体操法の基本だといわれます。

鍬を引き、鋸を引くという例を挙げることができます。確かに日本人が何か力を出すような場合、引く動作を得意にしているように見えます。太極拳でも引く力を利用します。その場合、丹田は中丹田よりも低い位置にある下丹田を意識するとうまくいくのです。

純粋に武術の違いだと思われる合気道と太極拳との間には身体に関わった文化差があるように思えます。そして臍下丹田は先天呼吸をしませんし、蓄えようとするのは精ですから、気を用いるのに不都合があります。

似ている言葉と意味でも、目的が違っているので具体的な方法もそれぞれ違ってくるようですね。