これが失敗の原因だった!丹田呼吸を作り出すことはできない事実

もうすでに10年以上も前のこと。上海の外れの町に住む、太極拳の老師を訪問して学習した年がありました。そのときまで、結局太極拳を実際に使えるものだとは考えていませんでした。

伝説的な使い手が過去にいたという内容まで否定する気持ちはありませんが、自分と同時代に生きている人間に理解の境界を越えたものがあるというイメージがなかったのです。

その老師は柔らかいだけでは戦えないと日本の太極拳の間違いを指摘しました。結局は剛の力を使えという程度のものかと、納得とともに少し落胆するのを感じたのですが、その老師は少し違ったことを言っていたのです。

丹田の力を使えば、柔らかさに強さが宿るというのです。柔らかさと強さとを別のものだと思っていたので、少し混乱したのですが、一緒にいた日本人も私たちの先生たちも同様のようでした。

その老師に出会う前、丹田を動かせという要請は指導者たちから何度も受けていましたので、聞き慣れていたのですが、中国の老師が要求したのは、勝手に動いている丹田でした。

初めて聞く指導内容に驚き、周囲を見回すと日本の指導者たちは衝撃を受けた様子でしたので、おそらく日本に伝わっていなかった内容だったということでしょう。10年以上内功に費やしても、知らないものはできないですよね。

気功は日本にもあります。合気道でも呼吸法という名前で、気功に似た練習がありますし、空手でも息吹という行法を教えられました。これらは気功と名付けられています。

しかし日本式気功は呼吸法だとまとめられます。いずれにしても、いかに吐くか、いかに吸うかという内容になっています。その結果どのような効果が現れるかに多くの言葉を費やしています。

そもそも口や鼻から取り込んだ息は肺に行くのが道理です。肺に行った気は丹田には行きません。つまりそのような呼吸法と丹田による呼吸とは別物なのです。

呼吸は鼻と口でするものという考え方が日本に根強くあります。なので気功も呼吸という言葉を使って説明された途端、鼻と口でするものという概念に固定されます。

ブラスバンドで「へそ呼吸」というものを指導されました。これははどうなの?なんとなく丹田呼吸に場所が近いですが、指導されたのはへそに意識を維持して、息を吸ったり吐いたりしなさいというものでした。へそ呼吸はへそ呼吸はお腹を意識してする腹式呼吸に過ぎません。

武術マニアたちの間で時々話題になる「逆式呼吸」なるものもあります。それなら?吸ったときにお腹をへこませ、吐いたときに膨らませるけど、これもまた鼻と口の呼吸に過ぎません。

これらの呼吸法の特徴は、鼻と口を用いている点です。ですから鼻と口との息を止めてしまうと、当然止まるだけです。長くなると死んでしまう可能性もありますから、注意してください。

それに対して、丹田呼吸は、意識とは関係なく生じるものですから、鼻と口の呼吸を止めても、止まりません。もちろんとても苦しくなりますので、実験はお勧めしません。

陰陽は分離して相互依存するのに日本では乖離して存在すると思っているのと似ているようです。もともと太極が二つに分かれた陰陽なのですが、双極と混同したのか、日本では対立するものの代表のように思われています。

分かれるという言葉に引っぱられた結果かもしれません。分かれるというのは区別されるといった程度の意味だったのです。区別されるものが、一つとして存在しているのが太極なのです。

誤解によって無価値なものと判断されてしまった不幸な事例のひとつです。このような理解の仲間は少なくないありません。誤解があれば、いくら頑張っても丹田呼吸を生み出せないのが当たり前です。