本当なの?太極拳術十要をわかっても太極拳を習得できる見込みなし

ある教室で練習をしていたとき、そこに居合わせた先輩が太極拳を何年もやってもリラックスが身につかないと先輩たちが話してくれたのに驚きました。

自分よりも若い頃から太極拳に打ち込んで、今ではあちこちの教室で指導している先輩がたのほとんどが、太極拳で十分にリラックスできていると感じないと証言しています。

リラックスすることで、健康に、また職業上の効率化が望めるとマインドフルネスがもてはやされていることを考えれば、もはや太極拳では対処のしようがないということなのでしょうか。

なぜなら、リラックスは太極拳の効果を得るための必要条件です。ゆったりと流れるような動きに特徴があるとされる拳法ですからリラックスできないのなら、他の健康体操と違いはありません。

そのような事態に問題を感じているのは現代日本だけではなく、昔から課題であり、達人がまとめた要件が伝わっています。それは『太極拳術十要』と呼ばれたりします。

伝承によって多少違っていることもあるのですが、それらの項目を読んでみると、次のようなあるべき姿勢を指摘しているのが大半になっています。

「虛霊頂勁」は首がまっすぐ伸びて力が抜けていることを指し、「含胸拔背」は胸が反り返っていない状態です。「分虚実」とはどっしりした部分と、力が抜けている部分とがはっきり別れていることですし、「上下相隨」や「內外相合」は動きについて指摘しています。

「松腰」は緩んで柔らかい腰の使い方であり、「沈肩墜肘」は肩と肘が落ちている姿勢です。

確かに太極拳術十要の大半はあるべき姿勢を指示しているといえますが、この要件に従おうとすると大きな矛盾を抱え込んでしまいます。

姿勢を意識すると結局緊張してしまうという現実です。例えば、指を伸びやかに伸ばして、スキップをしようとしても、なかなか上手にはできないはずです。それは人間の認知的限界を無視しているからです。

人間の脳は同時に二つの項目を扱うことができないのです。右手と左手とで違う動きをさせるのは非常に負荷の高い運動なのはよく知られています。他にも、近くと遠くを同時に見れないのも同じですね。

太極拳術十要の問題点を簡単に言ってしまえば、条件を増やすとリラックスできないとなるでしょう。同時に二つのことでも困難なのに10個もの条件を同時に満たすことなど不可能なのです。

先輩たちの主張によれば、それだけ太極拳は奥が深くて難しいのだという結論になるようですが、それならもはや太極拳は、時代のニーズに応えられない代物です。

あるとき「条件を満たしたときに生じる効果である」と考えてみるようにしました。当然、結果と要因とを間違えれば、うまくいくはずがないのです。太極拳術十要で語られている要素は、獲得の条件ではなく、何かを獲得することによって得られる効果の指標のようなものではないか、というふうに考えたのです。

あるいは最初に獲得すべき要素をその後、育てるための考え方を示しているのではないかとも考えられるでしょう。すると未知数のような重要な要素がどこかにあるはずです。

その未知の要素がなんであれ、もっとも肝心な基礎をまず獲得する必要があるでしょう。肝心な要素とは何かが問題ですが、基礎になり得るものです。

東洋医学では身体はどこかに寄りかかったときにリラックスできると教えます。もっともリラックスできるのは床に身体を横たえているときです。

十要によってリラックスを獲得するのではなく、リラックスを獲得して十要を追求するという方向になります。そして実は、太極拳は自分の身体の中に寄りかかれるものを提案しているのです。