ここが違う!ファンソンと単なるリラックスとは似て非なるもの

メディアでも話題になっているように、日常的にさらされるストレスの蓄積が身体の抵抗力を阻害し、免疫力を低下させています。気づかないほどにわずかずつ受けるストレスが積もりあがって問題を生み出します。

どこにでも充満しているストレスに対抗するためには、簡単でどこでもできる対抗策が必要かも知れません。リラックスのためにどこかに逃避するのではなく、今ここで可能な方法です。

リラックス法、ヨガ、座禅、放松など…どれも習得が難しいのは間違いないでしょう。方法が複雑だからではありません。私たちの社会が要求する効率性が私たちの心の奥に固まってルールになっているからです。

効率性のルールはリラックスを許しません。リラックスをしているのとだらだらしているのは非常に似て見えるからでしょう。それでも私たちはどこかで気づいています。身体は限界に近づいて悲鳴を上げているからです。

メディアなどで取り上げられる頻度が高いリラックス法といえば、座禅やヨガがメジャーでしょう。放松と比較するためにまず、ヨガや座禅による方法をおさらいします。

主にヨガや座禅によるリラックスでは運動感覚を問わないのが普通です。どちらもリラックスのための修行ではなく、修行のための業法ですが、リラックスするために現代人に用いられます。

ただどちらも無になることを目指すので、何かに用いることは考慮されていません。つまり悟りを目指すためのツールであって、その部分だけを取り出したのでは、ただリラックスするだけのものになります。

さらに日常から切り離して行われることが多いといえそうです。近所のヨガ教室であれ、座禅所であれ、それらは日常の空間ではありません。空間が区別されており、一旦そこを出てしまうと日常のストレスの中に引き戻されてしまうのです。

基本的にどちらも観念的で抽象的な言葉が用いられるのも共通しています。宗教的な用語を用いて説明するので、理解することはできても体感とは簡単に結びつかない可能性が高いでしょう。

ただそれらを学ぶ場所は増えてきています。ブームなんですね。さまざまな種類が考え出されて、学習者の便宜を図る段階に来ているのはありがたいでしょう。気軽に体験で参加できるのは魅力です。

一方、日本ではまだメジャーになっていないのは放松です。気功は明治時代に日本に伝えられたと聞きます。残念ながら文化の違いを乗り越えることができず、とても日本化されてしまったようです。

そもそも気功は生命力を養うという明確な目的を持っています。ですから直接的に呼吸のことだと考えてしまったり、あるいは概念の違いで片付けてしまったのは残念なことでした。

放松は寄りかかるための核を体内に見つけ出して用いるので、日本文化に依存した中国語の理解では、さまざまな問題を生じるのは当然でしょう。

「丹田に意識を集める」ことから始めます。これをそのまま日本語だと考えて失敗しているのです。丹田とはお腹のことでした。そして意識を集めるとは、なんとなく考える意味だと思うと効果を期待できません。

中国語の世界では現実的で具体的な言葉が用います。ですから意識を集めたときにどうなるのかということに焦点を当てて理解する必要があります。お腹が温かいとか、冷たいとかを感じることから始めるのが良い方法でしょう。

太極拳や気功で用いる基礎技術ですから、その後、身体操作を伴う日常の動作でも同じように利用することができ、生活の場、職場などの日常的な場で役に立ちます。

ヨガなら教室を比較的簡単に見つけられますが、動ける身体を求めるのは放松です。つまり生活の中で活用の範囲が広いのは放松だといえそうですね。