丹田呼吸はすでに!生まれたときから生きているので呼吸している

さて先天呼吸はずいぶんと誤解されているかも知れません。先天呼吸という言葉が一人歩きし、さまざまに解釈されて多くの書籍で紹介されているので、言葉はご存じの方も多いでしょう。

先天呼吸とは丹田呼吸のことを言います。でも一般に流通している考え方からすれば、先天呼吸と丹田呼吸とは別物のように思えるでしょう。それは先天呼吸と丹田呼吸とが理解されていない証拠です。

方法論がさまざまに紹介されているにも関わらず、一生懸命練習しても先天呼吸ができない、または丹田呼吸ができないという相談を受けます。先天呼吸を行うのが丹田呼吸というニュアンスです。

腹式呼吸と丹田呼吸はまったく別物という考え方もあまり知られないまま、丹田呼吸が説明されているものすら見つかります。腹式呼吸はお腹を意識して、深い呼吸をするものに過ぎません。

胸式呼吸であれ腹式呼吸であれ、鼻口からとりこんだ気は肺に溜まるだけです。もちろん、心肺機能によって血中に取り込まれた酸素は体内を巡りますが、呼吸法は体内の巡りまでを含んだ概念ではないのです。

対して、先天呼吸は丹田が行うとされます。これは酸素に限らず、生命維持に関わる要素を取り込みから体内循環、そして代謝までを含んだ概念です。

そして先天気は胎内にいる時に父母から与えられたものと説明されていて、先天呼吸は胎内にいるときに行われていた養分代謝の機能を指しています。

いうまでもなく胎内にいるときも酸素を取り込んで生命を維持しているのですから、酸素を含むすべての養分を代謝しています。そしてそれは次のように表現することができます。先天呼吸はへその緒を介して取り込まれる母親の呼吸であると。

後天呼吸は生まれたときに開いて先天呼吸から切り替わると説明が続けられます。開いてとは、回路が活性することで、へそを経由して取り込まれていた養分が別の経路を通るようになることを意味しています。

そして成人が丹田呼吸を獲得できないとすると丹田呼吸のための仕掛けはもう体内から失われたかという疑問が生じるのですが、それほど簡単に結論づけることはできません。

ほとんどの器官は胎児と大人とで同じです。つまり経路が変化しただけで、取り込むという機能と巡らせるという機能、そして代謝するという機能とそのための器官はそのまま保持しているのです。

丹田呼吸のための仕掛けはそのまま体内に残っているといえます。ですから、先天呼吸を獲得しなければ、丹田呼吸にはならないという言い方はある意味正しく、ある意味謝っています。

先天呼吸でなければ、丹田呼吸とは呼ばない。これはその通りですが、先天呼吸を獲得できなければという考え方に大きな問題があります。なぜなら先天呼吸はすでに私たちの体内に存在しているからです。

先天呼吸はたしかに私たちの体内にそっとあり続けているのです。体内に取り込んだ気を体内に巡らせる呼吸が先天呼吸だとすれば、生きている以上、絶えず気を体内に巡らせているのです。

生きている以上、体内に取り込んだ気を巡らせている。これが先天気の正体です。そして丹田呼吸とは、丹田という特定の身体箇所を用いて、先天気を感じ取る呼吸だということになります。

先天の呼吸によって巡る先天気を丹田で感じ取ることができれば、それをコントロールすることが可能になります。無駄な消耗を避け、必要ならば先天の気を補うことで若返りの効果を得られます。

先天呼吸を獲得しようと思うならば、まず丹田の位置を明確に意識できるようになることが必須の条件だったのです。